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小学校コースについて

M.モンテッソーリの言葉
「人間の命は総ての生き物のために何かを為すはずである。
全ての命は他に代えられず地球上に唯一存在している」

今年から私がAMIのエレメンタリーコースに通い始めるため、この項目は(仮)
となっております。これまでにも何度か小学校コースのセミナーに通い、以前に取得した3~6歳の国際免許においても、まだ伝えたられることがあることから、2003年から 小学校一年生に限ったコースを隔週の土曜日に始めております。今年から本格的に小学校コースの知識が得られるのでワクワクしているところです。
現在は、一年生に限っているので、一学期はお料理作りを通して、買い物に出掛けたり、毎回重い買い物篭を皆で手分けして運んだり、皆で協力しないとお昼ご飯にありつけなかったり、を経験しながら実際にお金をやりとりして、
数字に慣れ、お金の動きを実体験して買い物袋の重さが今日使ったお金の価値である事を知り、本来の足し算の意味や持っていったお金が少なくなってしまう引き算の意味を皆で体験します。 一学期間ずっとこの経験をしてから机の上での抽象化された計算を始めます。またすべての基礎である五十音も鉛筆では経験できないとめ・はね・はらいを実際の墨と毛筆を使って、文字の成り立ちをイメージしながら五十音表を作ります。
小学校の活動もInfantや午前クラス・午後クラスの時と同じように、
実物や経験から入ります。大きな意味での違いは何もありません。
しかしこれらの事をやり遂げられるには、それ以前の活動を経験している
必要性があります。

とかく目に見えがちな、算数の足し算や文字が書けることはそんなに早くに
習得させなくてもいい筈です。だって学校でキチンと教えてくれるのですから
むしろ、大人にもはっきりとわかる結果を知りたいお母様が、子供の成長を確認出来る様に教えるのではないでしょうか?
他の子が出来るのに家の子は出来ないという比較をして、お母さんの安心のために子供にやらせてはいないでしょうか?
経験が充分であれば、教えなくても学びたくて仕方が無い状態になるはずです。それは足し算のテクニックを知ることではなく、
その仕組みがどうなっているのかを経験させる事です。どうして一人分の買い物は重くないのに4人のものを集めると重くなるのでしょう?
出掛ける時にはたくさんあったお金が買い物したら少なくなってしまうのは
ナゼなんでしょう?子供たちは其の仕組みをのぞいて見たくて仕方ないのです。
大切なのは抽象化された記号での計算ではなく、そこに至る過程を経験しているか否かです。
全ての人間は進化の過程たどります。羊水に浸っていた魚類の時代 ハイハイできるようになった爬虫類の時代 高足ハイハイで移動できる哺乳類の時代 そして二足歩行できるようになった霊長類の時代 言葉が喋れるようになってやっと人間に到ります。でも原始時代に文字や数学があったでしょうか?
その頃は生き抜くことに精一杯で文化的なことはあまり出来なかったかもしれません。出来たとしても衣類で着飾ったり、装飾品を創ったり、踊ったり、歌ったり、言葉はあったかもしれませんが、伝達としての文字はモットずっと後になってから発祥したはずです。
数字も始めは岩に刻むようにして記したので、Ⅰ(1)Ⅴ(5)Ⅹ(10)のように
直線的なものでした。計算が出来るようになったのは随分後のソクラテスの時代です。小学校一年生は人間の進化のどのくらいの位置でしょうか?
学校に入学したとたん1~2万年進化しろとを子供に要求するのがどんなに
難しい事かお解かりになりましたか?
どの知識も、必要があったから生まれました。 実体験が少なくその知識を
知りたい段階に無いのに与えたところで 暖簾に腕押し です。
小学校で学ぶのであれば、充分体験させてあげることだと思います。
本当はそれまで(入学前)に 体験させてあげるのが一番です。
モンテッソーリの小学校コースの特徴は、もしその段階になければ、理解できるところまで戻れるところです。幼稚園時代に足りなかった感覚なのか?2歳くらいの時に経験できなかった日常生活練習なのか?赤ちゃんの時に培えなかった運動機能なのか? そんな意味でも多少の発達障害のあるお子様にも対応できる事と思います。本当に子供が必要としている事に気付いてあげて下さい。
それは机上の勉強なのでしょうか? それとも実体験を基にした学習なのでしょうか? 勉強は本来楽しくて・知りたくて仕方ないものです。
こどもたちに本当の学習の楽しさを伝えたくて、自由に表現する事を手伝いたいと思ってこのコースを作ってゆく予定です。
興味のある方はご連絡ください。
St.ボスコこどものいえ 鎌田